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東京地方裁判所 昭和42年(刑わ)1435号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕本件公訴事実は、

被告人は、クラブ「月世界」のホステスIが有限会社「萩乃」の従業員の運転する自動車により負傷したことから、同会社の社長渡辺俊夫(当四四年)に対し、右Iの休業補補償として金二〇万円を支払われたい旨接渉していたものであるところ、右渡辺において右要求に応じないとみるや、休業補償名下に金員を喝取しようと企て、昭和四二年三月三〇日午前九時四〇分頃、東京都港区西新橋三丁目一三番五号所在の同会社にいた右渡辺に対し、同都渋谷区上通り四丁目二〇番地帝建産業株式会社から電話で「お前は誠意がないな、どうしたのだ。」「お前は言つてもわからないんだなあ、お前年頃になれば娘も年頃になつているだろう、娘がいなければお前の女房でもいいから渋谷まですぐ連れてこい。お前の見ている前で車で轢き殺してやるからな。一度で死ななければ二度でも三度でも轢いて殺してみせる。聞いているのか」等と申し向けたうえ、更に同日午後六時三〇分過頃、同都渋谷区西原一丁目三六番地富紀荘の右Iの居室において、右渡辺に対し「誠意がない」、「今まで金を持つて来たことがあるか」「俺は一回言つたことは取消すということをしないのだ」、「俺も気が短い方だからこんなことでぐずぐず話をしているのはきらいだ」等と申し向けて、休業補償名下に現金二〇万円を要求し、若し右要求に応じないときは、同人やその家族に対し、どのような危害を加えるかはかり知れない態度を示して脅迫し、同人を畏怖せしめて金員を喝取せんとしたが、同人が右要求に応じなかつたためその目的を遂げなかつたものであるというのである。

<証拠略>を総合すると、Iが昭和四二年二月一八日東京都渋谷区幡カ谷二丁目付近路上を歩行中、渡辺俊夫の経営する有限会社「萩乃」の従業員中川右司の運転する自動車により負傷したこと、被告人が同女のため渡辺俊夫に対し休業補償金支払の接渉をなし、起訴状記載の日時場所において電話で、あるいは面会して同記載の如く申し向け金二〇万円を要求したことなどの外形事実はほぼこれを認めることができる。

しかし、被告人がIのため休業補償金二〇万円を要求するに至つた経緯の概略は次のとおりであつて、右休業補償金算出の根拠方法は必らずしも明確かつ合理的とはいいかねるが、一概に不当かつ過大なものとは言い得ぬと同時に、右補償金債権が存在しないのに拘らず、これが請求という口実のもとに金員の支払いを求めたものでないことは勿論、過大な請求をする意図もなかつたことが認められ、被告人の右所為はあくまで自己とかねてから同棲中のIの依頼により同女のため休業補償請求権を行使した権利行使行為の範囲内にとどまるものであり、休業補償金名下に金員を喝取せんとしたものとは認め得ない。即ち、前示各証拠によると、Iは公訴事実記載のとおり、有限会社「萩乃」の車輛により負傷したのであるが、同女の右負傷程度は同都渋谷区本町二丁目一八番地鈴木医院での事故直後の診断では全治一週間の後頭部挫傷とされ、I自身も当初は右事故を公けにせず中川が当座の医療費を負担することにより内聞ですませることにしたこと、しかしその後同区本町一丁目四番地玉井医院での同年三月一五日の血圧、レントゲン等の検査、同じく同月二二日からの脳波、脳圧等の精密検査によつてもそれらに格別の異常は認められなかつたにもかかわらず、二月下旬ころから頸椎捻挫(いわゆるむち打ち病)の症状を呈して頭痛、目まい、首筋痛等に悩まされ、特にそれが三月二〇日ころからひどくなつたこと、同女は赤坂のクラブ「月世界」にホステスとして勤務して一日一万円程度の収入があつたが、右病状のため右事故の日からIが渡辺に対し休業補償を打出した日である三月中旬ころまで約二〇日間クラブを休まざるを得なかつたため補償額として二〇万円を要求したこと、「萩乃」側も右の如き診療経緯から同女の負傷を軽傷と判断し同女の訴えにもかかわらずその症状について半信半疑であり、特に同女がクラブのホステスであつてその勤務状況、収入の把握が困難であるところから同女の一日一万円の割合による合計二〇万円の休業補償額の要求の妥当性を疑つていたこと、被告人は右Iとかねてより内縁関係にあつたが、同女より右事故後の症状が思いのほか重大であるにもかかわらず萩乃側がそれを認識せず、三月中旬ころ被告人が市村の依頼により渡辺と会見の際同月二三日まで休業補償の返事をすると約束しなが何の返事もしなかつた(渡辺は同月二二日に同女が玉井病院に入院したのでその診断結果待ちで良いと思つていた)り、或は渡辺が同女の勤務先で同女の収入の調査を行ないそれを程度把握しながらなお同女に給与証明がなければ一日七五〇円しか出せないなどと言つたりして、示談の話等を早急に進める気配のなく、そのためIはもちろん被告人自身も渡辺の態度に不満を感じた結果、三月三〇日の要求となつたことなどの事実が認められるのであつて、これによれば被告人がIの依頼を受け同女のために「萩乃」の社長渡辺俊夫に休業補償支払の接渉をし、その具体的としてIの希望する二〇万円を要求したことは社会通念上必ずしもこれを不当かつ過大とは言い得ず、通常考えられる権利行使行為と言うべきである。もつとも、三月三〇日の接渉の際における被告人の言動に高圧的なものがあり、しかも申し向けた文言も前示のとおりかなり穏当を欠くもののあつたことは否定しがたいところである。しかし、被告人が渡辺俊夫に対して電話で申し向けた文言は証人<省略>及び被告人の当公判廷における供述によれば、前記のとおり渡辺が三月二三日までに休業補償の返事をすると約束しながら何の返事をしなかつたことなどから、同人の態度に不満を感じた被告人が「あんたの年頃になれば娘も年頃になつているだろう。また、娘がいなければあんたの女房でもいい、娘や女房が目の前でひかれるのを見たあんたはどう思うか」という趣旨で申し向けたものであつて渡辺が休業補償につき誠意のないことを難詰したにとどまり、本当に「お前の見ている前で娘や女房を轢き殺してやる。」等渡辺の家族に危害を加える趣旨の発言とは認められないし、Iの居室内でもかなり語気あらく右渡辺の不誠実を非難はしたが、前記認定の経緯に徴しこの程度のことは社会通念上許容し得るものであり、被告人がいわける恐喝行為として渡辺をして畏怖をさせるに足る脅迫行為をしたことについてはこれを確認するに足る証拠はなく、結局、右の如き三月三〇日の接渉にいたるまでの経緯や、それに加えて被告人とIとの特殊の関係を考えた場合、被告人の本件所為はIの依頼を受け同女のため休業補償請求権を行使した権利行使行為として社会通念上受忍される範囲を出てなかつたものと認めるのが相当である。(斎川貞造)

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